2026年9月、東京都墨田区東向島の「たもんじ交流農園」で、寺島なすの採種研修会が開催されました。
かつてこの地域は「寺島」と呼ばれ、江戸の近郊農村として多くの野菜が栽培されていました。その中で育てられていたのが、現在「寺島なす」と呼ばれている小ぶりのなすです。
しかし、時代とともに畑は姿を消し、寺島なすも昭和の初め頃には栽培されなくなっていきました。いったん途絶えた寺島なすは、農研機構のジーンバンクに保存されていた種子をもとに復活への取り組みが始まり、2009年に復活を果たしています。
今回、採種を学ぶために集まったのは、まさにその寺島なすが育てられてきた地域です。
けれども、現在の地図に「寺島」という地名はありません。
そこにあるのは、東向島という現在のまちと、たもんじ交流農園という小さな農園。そして、その畑で今年も実をつけている寺島なすです。
地名は変わっても、種は残っている。
その種を採り、選び、保存し、また次の年に播く。
それは単にナスを栽培するための作業ではなく、かつてこの土地で人々が暮らし、畑を耕し、野菜をつくっていたという地域の記憶を、もう一度未来へ手渡していく作業なのかもしれません。
今回の研修会では、「寺島なす栽培と母本選抜・採種法・種子保存について」をテーマに、栽培から採種、そして種子を次代につなぐための方法について学びました。

地域で育てる寺島なす
開会にあたり、伝統作物種苗保全ネットワーク会議副議長である近藤友宏氏(株式会社日本農林社)と、寺島・玉ノ井まちづくり協議会(てらたま)の牛久光次氏からご挨拶をいただきました。

近藤さんからは、日本農林社についても簡単にご紹介いただきました。

日本農林社は、1852年に現在の北区滝野川で創業した種苗会社で、育種から種子の生産、販売までを行っています。東京のこの地域で長く種に関わってきた会社として、東京の在来品種の種も多く扱っており、今回の寺島なすの取り組みにもつながっています。

そもそもの始まりは、日本農林社から提供された寺島なすの種子を、東京都あきる野市の種苗店、野村植産で苗に仕立て販売していたこと。その苗を牛久さんにご購入いただいたことから、寺島なすを通じた交流が始まりました。

一つの種を起点に、人から人へ、そして地域から次の世代へとつながっていく。今回の研修会は、そんな流れの中で実現したものでもあります。
続いて、江戸東京野菜コンシェルジュ協会の水口均さんから、寺島なすの来歴と栽培・採種についてのお話をいただきました。

寺島なすの来歴と、いま
講演では、まず寺島なすがどのような野菜なのか、その来歴についてお話しいただきました。寺島なすは、現在の墨田区東向島周辺、かつて「寺島」と呼ばれていた地域で江戸時代から栽培されてきたとされる、江戸東京野菜のひとつです。小ぶりで丸みのある果実をたくさんつけるのが特徴で、江戸の町に野菜を供給していた近郊農村のひとつとして、この地域で栽培されていました。都市化とともに地域の農地が失われ、寺島なすも一度は途絶えましたが、ジーンバンクで保存されていた種子をもとに、東京農林総合研究センターへ採種を目的に栽培を始めていただき、復活への取り組みが始まり、現在はかつての産地であるこの地域で再び栽培されています。

今回、講師を務めていただいた水口均さんは、もともとJA東京中央会で江戸東京野菜に関わってこられ、現在は江戸東京野菜コンシェルジュ協会の監事を務めています。また、伝統作物種苗保全ネットワーク会議の監事でもあります。そして、ここ「たもんじ交流農園」では、寺島なすの栽培についてアドバイザーとして月に一度訪れ、栽培の様子を見ながら地域の皆さんにアドバイスをされています。寺島なすを地域で育てていくために、栽培だけでなく、その特徴や歴史を含めて伝えていく役割も担っています。
たもんじ交流農園ではなすを育てるには「寺島なす」だけ、と言う厳しい決まりがあります。それゆえ、周辺に農地も全くなく、たもんじ交流農園内ではなすの採種時の交雑の心配がありません。
育てている寺島なすは、基本的には「収穫して食べる」ことが中心です。実ったなすを収穫し、地域の中で寺島なすを味わってもらう。その一方で、栽培の終盤になると、あえて収穫せずに残しておく果実を収穫します。十分に成熟させた果実から種を取り出し、乾燥・保存して、翌年またその種を播く。こうして、地域で育てた寺島なすから、地域で次の種を残していく取り組みが始まっています。
実際にナスから種を採ってみる
続いて、元日本農林社の黒田祐一さんから、なすの採種方法について実地で指導していただきました。黒田さんはもともと日本農林社で採種をご担当されていて、実際に寺島なすの採取も担当されていたとのことでした。現在は現役を退いてはいるものの、今でも日本農林社の農場の管理をされているそうです。

黒田さんからは、まず採種用の果実をどのように準備するのかについて説明がありました。
なすの採種では、通常、2果目から4果目あたりの果実を使います。栽培している株の中から、果実の形や生育の状態などを見て採種用の株を選び、その株にできた果実を樹上で完熟させます。
本来は、他の株の花粉がついて交雑することを避けるため、開花した花に人工授粉を行います。受粉には綿棒などを使い、受粉した花には袋をかけて、外から別の花粉が入らないようにします。受粉してから完熟するまでには40~50日ほどかかるそうです。
普段の栽培なら、食べ頃になったところで収穫するナスを、採種のためにはさらに長い時間、株につけたままにしておく。「食べるための果実」と「次の世代につなぐための果実」では、育て方にも大きな違いがあります。

今回は見本として別の品種のなすを使い、実際の果実から種を取り出していきます。
まずは果実を机に押し付けて転がし、柔らかくします。

それを中身を切り出し、果実と種をざっくり分けていきます。


次に、種と果肉が混ざった水を別のバケツへ移します。その際に上に残っている果実の部分と軽い種が浮いていますので、それを捨てます。
このときに使ったのが、防虫ネットを利用して作った手作りの漉し器。ネットを通すことで果肉などを取り除き、種を集めていきます。普段は収穫して食べているナスも、採種するとなると、収穫後の扱いや種の取り出し方など、食用とは違った作業が必要になります。

採った種を乾燥させ、次の栽培へ
取り出した種は、防虫ネットで作った漉し器の上に広げ、日中の時間帯に5時間ほど天日干しをして乾燥させます。十分に乾燥したことを確認したら、最後は密閉して保存します。

ここで、日本農林社の大槻さんから種子の保存についてのお話もありました。保存には基本的にアルミ袋が適しているとのこと。種を長く保存するためには、湿度や光、そして水分をできるだけ遮断することが重要です。

採種は、種を取り出して終わりではありません。きちんと乾燥させ、適切な状態で保存してこそ、翌年また播くことができます。今年採った一粒の種を、次の栽培へ確実につなぐ。 採種から保存までを一連の作業として学ぶことができました。
こぼれ話:駐車場から始まった農園
研修会の合間には、てらたまの牛久さんから、この農園ができるまでの話も伺いました。

現在、寺島なすなどを育てている「たもんじ交流農園」は、もともとは隣接する多聞寺の駐車場だった場所。そこを地域の皆さんで掘り起こし、一から農園として整えていったそうです。井戸も自分たちで掘り、ウッドデッキも手づくり。牛久さんは工務店を営んでいることもあり、設計の部分ではプロとして力を発揮されたそうです。



この日は、皆さんが発行しているフリーペーパー「たもんじ交流農園便り」の7月号が、ちょうど100号を迎えたという話も。紙面には農園ができた頃のことも紹介されており、その記事を囲みながら、当時の話に花が咲きました。
みちなみに皆さんが来ている紫のTシャツはオリジナルのもので、お揃いでかわいいですね。





多聞寺の前で
研修会の後に、伝統作物種苗保全ネットワーク会議の幹事で、日本テロワール協会の理事を務める小堀夏佳さんと、多聞寺の前で。

農園のほうでは、地域の皆さんが駐車場だった場所を掘り起こし、土を入れ、井戸を掘り、少しずつ農園をつくってきました。その隣には、こうして長く地域に残ってきた多聞寺があります。
そして、この場所で今、寺島なすが育てられています。
かつて「寺島」と呼ばれていた地域は、現在の東向島・墨田周辺。寺島なすも、一度は途絶えたものをジーンバンクに保存されていた種から復活させたものです。
地名は変わり、街の姿も変わりましたが、種は残り、それを育てる人がいて、さらにその種を採って次へつないでいく。

「タネからたどる、地域の記憶」。
今回の研修会を表す言葉として、そんな言葉がよく似合う一日でした。
